きみの好きな本

彼女のことを考えすぎないように、彼の好きな本などを読みます。

映画『世界一キライなあなたに』

『世界一キライなあなたに』を見ました。正直見終わったあと気持ち的に立て込んでいたので、特に語ることもないしと思ってレビューする気もなかったのですが、ひまなので書きます。ブログのエントリーを増やしたい。
 
特に語ることもないと言ったのは嘘です。ひとつはあります。
「最後、彼が意思を変えなくてよかった」
順風満帆な人生を歩んでいた若い男が事故で首から下が動かなくなった。人生の激変ぶりに彼は絶望し、死を望んでいる。そこに現れた主人公が彼に明るい生活をもたらしふたりは恋に落ちて彼はやがて……。
って言ってもね。
恋に落ちたくらいじゃ人生の絶望は吹き飛びません。
健康そのものだけど人生に絶望し続けている私はとても彼に共感できました。
きみを愛している。
でも、それとこれは別。死にたいものは死にたい。
どんなに彼女と幸せな時間を過ごせても、そのほかにこれから自分と愛しい人にふりかかるかもしれない様々な困難や苦悩を考えると、生きることにポジティブになれません。
 
人生は幸せとそうじゃないときが波のようになっていて、その波があるから私たちは今が幸せだと気付けたり、今はつらいと思ったりするのです。ずっと幸せなんて人はいません。幸せがずっと続くとそれは幸せじゃなくて当たり前になって、やがて退屈になるから。
幸せに「なる」っていうけど、幸せって状態じゃなくて動作だから「なった」らそのあとずっと幸せなんて話はないってこと。たまに幸せを感じたり、感じなかったり、感じたりなんじゃないのかな。
だから、一度深く沈んでしまうと、その「波」自体が怖くなる。「波」自体が終わってくれ、そうしたら不幸もない。そんな気持ちになる。幸もないけど。
 
っていう思いだったんじゃないですかね、彼は。
あー、「幸せになる」という言葉はおかしいからなくなってほしい。

モロッコへ行く準備2

出発まで一週間を切りましたが、特に何もしていません。
一週間を切ったことに気が付いたくらいです。
 
あ、モロッコで主流なSNSは「WhatsApp」らしいです。ヨーロッパでもそうらしいですね。使い方はまだわかっていませんがDLしました。
Ohiraさん(http://twitter.com/Shunya_Ohira) 教えてくださりありがとうございました。
あとはfacebookとかで連絡をとれるのかなと思い、facebookも始めました。
 
いろいろ見たのですが、夏にモロッコでただの日本人女性がすべき格好は「Tシャツに長ズボン」ってところでしょうか。スカートや半ズボンを履いている女性はいないそうなので長ズボン。上はよほど露出度が高くなければなんでも平気みたいです。
ロッコは場所によって気温が結構違うのですが、どこだって長ズボン暑そう……。
シェフシャウエンで真っ白なワンピースとか着たかったんですけどダメなんですかね。観光地だし望みだけは捨てずにいよう。帰ってきたらどうだったか書きます。
 
あとは大判のストール。羽織って上半身の露出を減らしたり、髪を隠してモスクを見学できるように。
 
個人的に持ってくの忘れないようにしたいのは飴。喉の乾燥防止と、荒い運転に酔いそうになったときに気を紛らわすため。今までの海外行ってで大切だと思ったのは下痢止めと便秘薬。生活環境が変わるとどっちかになる人多いですから。
 
去年のなにからなにまで自分でやったサンフランシスコ旅行に比べたら何も調べてなさ過ぎて怖いけど、その怖さも楽しもうかと思います。

綿矢りささんの『ひらいて』

綿矢りささんの『ひらいて』を読みました。
 
これもまた、友人に借りたもの。なぜか、親友の一人もこの前綿矢りささんの作品の話をしていました。ひさびさに小説を読んだけど、こんなに情緒的に生きている(少なくともこんな話を書けるくらいにその気持ちを想像できる)人がいるのね、と親友は言いました。私と10年近く一緒にいて何をいまさら、と私は笑いました。
 
ええ、綿矢りさは私だったのかと思いました。これを読んで。
人を好きになる激情、わけがわからなくなってするレズセックス、混沌の愛、神と祈り、あの人生観。すべてそっくりそのまま私の中にあったコンセプトだったのであまりにもびっくりしました。びっくりしすぎてこんな大それたことを書いています。綿矢さんに失礼過ぎると思うけど、ほんとに。
私の頭の中をこういったかたちで出版してくださってありがとうございますとすら思う。書こう書こうと思いながらも今まで一度も長編小説を書ききれていない私はいったい何を言っているのか。絶対いつかこんなことを言ったことを恥ずかしくなる日が来るけれど、読み終わった今、私が彼女と彼を愛している今、そう思ったので書いておきます。
ああ恥ずかしい恥ずかしい。ごめんなさい。
 
でも、この、愛とたとえと美雪の感じ。「わかる」人が一定数いるってことですよね。きっとみんな、綿矢りさは私の(ぼくの)気持ちをどうしてこんなにもわかるのか、と頭を抱えているのでしょう。
綿矢りささんの『ひらいて』な感じのひと、好きです。よかったらお友達になってください。

頭がおかしい人のジレンマ

以下友人Mの代筆です。
 
自分自身が頭がおかしいかどうかは、自分では判断できません。あたりまえです。
ただ、結構な割合で「きみは頭がおかしい」と言われます。
それが真実かどうかはどうでもいいけれど、ひとつ困ったことがあります。
 
何も言わないといずれ「お前は頭がおかしい!死ね!」と、先に言えよそうしたらお前と会話なんてしなかったのに的な感じで言われるし、知りあってすぐに、私は頭がおかしいけれど、と言うと「そう言ってくる人は基本的に普通だから大丈夫」と言われてとりあってもらえません。これを「頭がおかしい人のジレンマ」と呼んでいます。
 
ちなみに「大丈夫」と言った人は、やっぱあんま普通じゃなかったわ……みたいな顔をするだけしてこっちを見なくなるパターンの人が多いように思われます。
 
確かに自称「頭がおかしい人」はいます。自分で自分のこと頭がおかしいと思うってことはそこまでおかしくないのだろう。本当にヤバいやつは自分がおかしいことに気づいていないはずだから、と思うのはわかります。
でも、そもそも頭がおかしいかどうかの判断は人それぞれだし、いろんなタイプの自己申告があるということです。
私は、自分が頭がおかしいかどうかはどうでもいいけれど、結構な割合で「きみは頭がおかしい」と言われることが多いですよ、お気を付けくださいまし。という意味の自己申告です。
 
ようするに「お前は頭がおかしい!死ね!」と言い捨てて私の前を去ってゆくのはやめてください。おかしいのはお前の頭だ。

江國香織さんの『きらきらひかる』

江國香織さんの『きらきらひかる』を読みました。

 
最近最も仲良くしている友人に借りて。モノガミーにアンチ気味な私たちにとって、ゲイの夫とヘテロセクシュアルな妻が結婚した話、というのがなにか面白いではないかという話になって。
でも、その友人は教えてくれなかったのです。いや、あまりそのことにフォーカスしていなかったのかもしれません。夫はゲイで、「妻は精神病」だったのですね。
 
結論から言うと、この作品はあとがきが全てです。あとがきが本編だと言っても過言ではありません。あとがきですよ、あとがき。
 
本編は、まあふつうです。精神病かどうかはお医者さまではないのでわかりませんが、私は笑子側の人間なので、わかるなあ、とか、結局幸せそうやないかい、とか軒並みなツッコミを入れつつ話が普通に終わるのをただただ見届けました。
お話ですからね、なんとなくいい雰囲気にしてぶつ切りすることができるんですよ。現実は、あの、いい雰囲気をなんとなく醸し出したまま幕を閉じる、ような手段は続きません。笑子の気持ちはアップダウンを続け、彼女の人生はよかったりわるかったりを繰り返します。
 
笑子たちがうらやましいなあ。私もいいタイミングで幕を閉じたい。
なんて思ったらとても冷静なあとがきだったので、なあんだ、あとがきが本編だったのかと思ったのでした。

アセクシャルだけどアロマンティックじゃない1

最近性的嗜好についての定義と用語がたくさんあるんですね。

自分がいわゆる普通とされている「異性にのみ性的関心を持ち、一人の人と交際結婚を望む」タイプではないということに、ここ数年で気が付きました。

むしろ、ここ数年でいろいろよく考えた結果、そうなったというか、でもその結論が出たときにとてもしっくりきたのでもとからそうだったのかもしれない、というか。

いまとなってはわかりません。そこは、どうでもいいです。

 

自分のことをアセクシャルなんだと思ったことがあります。

まず、私はある特定の人や物に性交欲を感じたことがありません。性欲はあります。自分のからだのどこを触ったら気持ちがいいとか、そういうのはあります。でも、女性器に男性器を入れられたい、つまりセックスをしたいと思ったことがありません。

私は子どもがほしいときじゃないのにセックスをしようと思うこと自体が理解できないし、子どもをほしいと思わないからセックスだってしたいと思わないという、ごく単純なことです。

セックスが気持ちいいことを知れば、セックスをしたくなるんじゃないか、と言われますが、100%妊娠を防げる避妊技術はないし、自分の気持ちよさのために子どもができるリスクを背負ってまでセックスをしようとは思いません。99%は防げるんだから、と言われますが、残りの1%を気にしてしまう性格なのでそこはどうしようもありません。

女性器を男性器に入れなくても、挿入の快感に満たないにしろ、気持ちいいことはできると思います。

だから、誰かと性交したいと思いません。つまり、アセクシャルなのかな、と。

 

でも、好きだ、愛おしい、愛している、という感情は湧きます。

その人が目の前にいるときは、一緒にいて楽しい、この時間が終わってほしくない。

その人が目の前にいないときは、いま何してるんだろう、楽しく過ごせているかな。つらいことはないかな。

その人を好きだと思った、いや思う前からずっと、暇な時間は常にその人のことを考えています。普通に、恋です。

アセクシャルを「他者に対して恒常的に恋愛感情や性的欲求を抱かない」と定義する人や、アセクシャルとアロマンティックを同義にする人がいますが、私のような人間からすると、分けてほしいです。分けることに意味がある人間がいるのです。

 

恋と愛の違いは何か、という命題に対して性欲の有無だという答えはしばしば聞かれますが、相手とキスしたい、セックスしたいと思わなくても毎日毎日その人のことを考えて恋い焦がれる人だっていますよ、というお話でした。

なにか疑問や質問があればお気軽に。

 

 

 

韓国映画『男と女』の日本語字幕訳について

去年サンフランシスコへ旅行に行ったとき、中国国際航空を使いました。
そのとき帰りの飛行機で見た韓国映画がとてもとても良くて。
例によって、好きな感じのほの暗さ。好きな感じの台詞。
飛行機から降りても何度も何度も、あーさっきの映画よかった。と思わずつぶやいてしまうほど。
youtubeにあった直訳での日本語字幕付きの予告編(おそらく日本公開用ではない)を見ては、日本で公開されるのを楽しみにしながら素敵な世界観にうっとりしていました。
 
そして今年の2月。いざ日本での公開が始まることになって日本公開用PVを見てみると……字幕の訳がもともとの台詞と全然違って世界観が全く違うものになってしまっている!!!
とてもとてもがっかりしました。
叙情的な、センチメンタルな言葉がとてもいい雰囲気を作っていたのに、なんだか陳腐なよくある恋愛映画に仕立てられていてショックでした……。もちろん、字幕用に役を作るのは大変で、意訳するのは当たり前だと思いますがこれはひどすぎる。
飛行機では中国語と英語のW字幕で見たので100%理解できたのですが、今後この映画をこのもともとの雰囲気のまま楽しむには私が韓国語をマスターして字幕なしで見る以外に方法がないのかと思うと残念でなりません。
 
気になる方は KOARImovienewsがアップしている予告編と、日本公開用の予告編を見比べてみてください。印象が全然違うと思います。
 
「生きるってなぜこんなに曖昧なのか」
主人公の男性が何回かつぶやく言葉。
 
「人生は迷うことばかりだ」に、意訳しないでほしかったなあ……。